皆のトコから10センチ弱。

ママと会社員の擬態をして8年

私が病んでいた(る)こと。夫が、働き方を変えてくれていたこと。

ふと思い立って、ソーシャル・プロフィールをつくりました。

mamari-jiro.amebaownd.com

…とはいえ、実生活に紐づくアカウントは何もなくw すべて匿名で書き散らしているものを、まとめただけのページです。でも、こうやっておくと

「あらー、こんなに書いてきたのね」

なんて思えて、なかなかいい気分(自己満足)。そうそう、instagram…はFacebookと紐づいていやなので、Google+はじめてみました。おひまなら、きてね。

読み返して気づいたこと

私はなんだかんだ、すぐ日記など、書く場所を変えてしまいます。

なぜなのかしら…と思い起こすに、やはり、気分を切り替えたくなったら新しいブログを作っちゃっているようなのですね。

まとめていくなかで、古いブログなど読み返しました。もともとは、こんなふうに子育てブログを、ふつうーに書いてた。

すてきなイミテーションDays: せいちょうきろく。

これは長男の保育園、ちょうど今の次男くらいの年でしょうか。

うん、すでに結構、兆候あらわれまくりじゃないですかw 次男のコト、リア充とか言ってる。うんうん、定型だと信じたかった頃だなー。でも次男すっごい育てやすかったですからねえ。

で、長男がやっぱり、小学校入学から苦労し始めて。「マイペースLIFE」というブログに移行しました。

fuwafuwa-1centi.theblog.me

 

このあたりから、私はホントーーーーに、小学校が苦手になってきました。

逃げられない

そもそも私自身、学校に良い思い出がないのです。

先生も嫌いだし(個人的に嫌いなのではない、でもトラウマだからどうしようもない)、あの典型的な建物自体も、生理的に駄目。集団生活は、思ったよりも私のメンタルに、ひどい影響をおよぼしていたようです。

でも長男は、スペシャルな対応が必要。

自分のトラウマに直面するからこそ、絶対に避けられない、彼のために避けてはいけない、と思い込みました。

療育センターへ電話をかけ、可能な限り長男について説明。受診予約をとり、主治医へ可能な限り、冷静に説明。テストを受け、すぐに診断がくだり、襲ってくるネガティブ感情をなんとかする(どうやってなんとかしたか覚えていない)。

すぐに放課後デイサービスへ申し込みました。

積極的に学校へ赴き、先生方と協議し、いろいろとお願いし、合理的配慮を求めました。…求めたけど反応が薄かったので、校長先生を含めたケア会議もお願いしました。

そのすべてが、私を傷つけていたと思います。

ビシビシ心臓から血が出てる感、ありました。でも解決のしようがなかった。夫に泣きながら愚痴ったところで、なんにもなりませんでした。

やらなきゃ、どうしようもないからです。そして、私が始めたことだったからです。周囲は、長男へのサポートを誰も理解していなかった。まだ。

壊れてきた

長男にあったデイサービスを見つけられたことは、とてもよかったです。

もし見つかってなかったら、潰れてた。潰れたらどうなったか、私にも想像がつかないですけれど。何が一番よかったかというと、「学校のコミュニティと同等のコミュニティを、別に持てた」こと。

トラブって疲れて、学校を休んだ時も。学校でハブられて、泣きながら帰ってきたときも。放課後デイに行って気分を変えました。

とはいえ、参観日などはこれまでどおり、落ち込む日々(私が)。

本当に行きたくない。しかし、長男は来てほしいし、見て褒めてほしいという。小学校が嫌いだけれど、行かなくてはならない。行ったらハラハラして、帰ってきて疲れ果てる。怒らないように気をつける、だって彼は褒めてほしいのだもの。

そして来ました、次男保育園になじまない!

mama-jirocho.hateblo.jp

だいぶん限界がきていたと思います。twitterで荒れる日々。

twitter.com

そのころ夫はどうしていたか

彼なりに、なんとかしないと…とは思っていたようです。

そもそも夫は、全然家にいない人でした。仕事が忙しすぎたからです。午前様は当たり前、そういう部署にいました。私の父もそのような働き方だったし、激しく文句は言いながらも、仕方がないのだ、それが夫婦なのだと考えるようにしていました。

love-imitation.blogspot.jp

しかし、

私は働き続けて、かつ、子どもたちが社会と関わるサポートを、深めに行っていました。

河を見たら飛び込みたくなったり、

長男をひどく責めたり、げんこつでなぐったり

しはじめました。仕事だけは変わらず続けましたが、何度も辞めたくなって、「辞める」と夫に宣言したり。夫は困惑した顔で、「それならばこのマンションには住めない、家賃が足りない」とだけ言いました。もう死にたくなりました。

そんな話をしたいのではないのです。限界だと分かってほしかった。

そのころのことは、あまり記憶がありません。

そして、今

気づいたら、夫が、ものすごく家事ができるようになっていましたw

本当に覚えていないんですが、いつのまにか、夫がかなり家事を片づけてくれるようになっていました。料理も洗濯もすごく上手になって、まさに兼業主夫です。

私は心療内科へ定期的に通い、心のおちつく、興奮しないお薬をいただいています。

次男は転園して、よい環境になりました。

mama-jirocho.hateblo.jp

長男は、小学校に慣れて、かつ成長してきました。お友達も、狭い範囲でなく、広い範囲でお付き合いができるようになってきました。放課後デイは、バスで通ってくれるようになり、頻度を増やせました。

そして、最近知ったのですが、夫は部署替えを願い出ていました

早く帰ってくるな…とは思っていたんですけど、まあそういう時期もあるんだろ…くらいに考えていました。ハッキリ言わないので分かりませんが、20時くらいまでには帰ってきてくれます。でも全然言わないので、まったく知りませんでした。

なぜ部署替えの件がわかったか?

私が昇進して、ほんのすこしだけお給料が増えたのです。

それを告げたら、「おお、減った分が補てんできるな」とぽろりした。は?何の話?と問いただしたら、残業が大幅に減るよう、ちょっと動いたんだと吐きました。それ以上は、絶対に言わない。

なぜ言わないんでしょう。

悔しかったのかもしれない、思い切り働けないのはつらいのかもしれない。よくわかりません。でも、私は、

ちょっとうれしかったです。

きっと、また来る

全然ゴールじゃないし、問題は山積みだし、思春期なんかもう、どうなることかわかりません。w

でも、また、超えていけたらいいなあと思います。ごく個人的な、これまでの総括でした!