メンタルが強い母って何だろ
ぶれない、の真相
かねてから、メンタル強いねと言われる。自分では、もちろん強いと思っていない。でも、言われる。喜んでいいのか?
心の強度とは、「ぶれない加減」で計られがちである。
確かに私はぶれない。
他者の思惑をあまり考慮しないからだ。考慮するときは、理詰めでしか考えられない。
そういう傾向を自分で分かっているので、例えばママ友づきあい的なものは、極力深入りしないようにしている。申し訳ないですからねえ。
奇跡のママ友たち
とはいえ、ほんの少しだが友達はいる。
- 超あっさりな、顔の広いママさん
- 賢すぎるゆえ、女子づきあいにコンプレックスを抱えた年下ママ
- シングルマザーの友達
身近なのはこの三名。みなベッタリした付き合いはしない。それどころか、連絡もなかなか取らないw それくらいの人でなければ、私は人づきあいが続かない。
息子の友達ママなども適宜連絡をとるが、気が合わないので…私の友達と判定するのは…どうしても躊躇われる。っていうか、向こうも絶対、仲良しな気持ちはないと思う。あ、別に判定しなくてもいいって? そう、そういうのができないのね。曖昧だったらもう逃げたいの。
あーあ、向いてない、ママコミュ。
私はクラス役員とか、誰かと一緒にやったりしなくていい。宿題が分からなかったら先生に電話する、もしくは適当にやらせて連絡ノートに書いておく。子育ての悩みをリアルで共有したりしない。共感とか要らないんだよね。
— ママリじろう (@parariqa) 2016年9月23日
自分が母親としてどうか?と聞かれたら、「まあ、低空飛行で…なんとか育ててます…子供たちを愛していますし」と答えるだろう。ぜんぜん、産んでよかったと思ってる。
でも、ママ友づきあいを含めた、育児に役立つ「コミュニティ形成」はもうド下手だ。
べつに誰かと争ったりはしない。ともかくストレスがでかい。たぶん、はっきりとは誰も気づいてないだろう。でもともかく苦手なの。
どうにか合理的に逃れられないのか?と常々思っているのでありました。
どうしてママ友づきあいは必要なのだろう
とはいえ私も、ママ友づきあいが皆無では困る、と思っている。だって子供が、ママたちと関わるから。
ルート営業と同じ。
知り合いの子供には愛着がわく。誰も知らないような子供には、どうしたって警戒心が起こりやすい。「ああ、あの(当たり障りのない)お母さんの子供なのね」と思われれば、それだけで回避できるトラブルがある、のである。
とはいえ、そうしたリスク回避が必須か、と言われると分からんところだ。なくてもなんとかなるんじゃないのとは思う。
ただ、代替行動としては結構手間がかかると思うな。学校に張り付くくらいやんないとダメだし、そんなの疲れる。
結局、バランスを見ながら冷静に選んでいくしかないのだろう。