秋って美しすぎでしょぉ、な(寮生活みたいな)三連休
まず土曜日
午前中
- 長男→放課後デイサービス
- 次男→図書館でお話の会へ
ひっさびさに夫が三連休で、他の三人はたいへん喜び。長男は朝、8時半ごろから放デイへ。次男とダラダラしつつ、恒例の図書館へでかける。
この日は、ろうそくを立ててお話するストーリーテリングだった。絵本がない、口伝えの読み聞かせっていう特性もちには厳しいイベント(行ってから気付いてさあ…)。
内容もディープすぎて震えた。浮浪者が出てきて、最後は崖から飛び降りていた…救いがない話を神妙に聞く4人の3歳児たち。さすがイギリスの民話。
長男を迎えにいき、ファミレスで昼ごはんを食べて、夕飯の買い物。長男はこの時点で、宿題を半分だけ終わらせていた(放デイ様は神様だ)。
旦那への申し渡し
ともかく、いつもの週と同じ流れで行動させてくれと念押しする。「はーー?めんどくさ…」と言いかける彼に目で殺意。
基本、旦那は土曜日に居ないのである。一回崩したら、いくらでもだらけてしまう兄弟である。スケジュール変更だけはご法度だ。
午後
長男が激しくおでんに凝っており、帰宅して一緒にクッキング。とはいえコンニャクをちぎらせ、餅巾着を鍋に入れさせる程度だけど。風呂やらゲームやら経て、21時には就寝。
まんなか日曜日
午前中
7時起床。すでにDSを開始している長男に、絵カードのスケジュールを遂行するよう申し渡し。着替えとか歯磨きとか、宿題の残りとか。
はい、安定の「拒否」。
タイムタイマーをかけて、ここから必ずやれ、この時間になったらDSはいったん預かるゾと宣言。ぶうぶう言いながら従う長男。えらいね、きっと今だけだろうな…完全にくそババア的なこと思ってる様子だもん。
兄弟の距離をとらせるためのプチ外出
10時ごろから、夕飯の買い物へ自転車で出かける。
兄弟は休みになると、距離が縮まりすぎる。トラブルが10分に一回発生、興奮しっぱなしである。できるだけ避けたい。
今のところ、対応として比較的効いているのは「短いインターバルでイベントを切り替え」。長男はマイ自転車に乗り、次男は私の子のせ自転車へ。だいたい15分くらいの距離にあるスーパーへ向かい、並木道を走ると、とても気分がよい。
午後
公共交通機関で30分ほどの、アスレチックのある公園へ。芝生が多いので、こんなの作って持っていく。
芝生滑り用のソリ?作ったの見て(作業時間15分) pic.twitter.com/PcGe1ba9K0
— ママリじろう (@parariqa) 2016年10月9日
旦那がいきなり「お茶でも飲んで来なよ」等とおっしゃるので、気が変わらないうちに消える私。スタバでのんびりはてブロ更新後、戻って合流。帰宅後、長男はしつこくおでん、ほかの家族はラーメン鍋。
さいごの月曜日
午前
なんとまだ宿題が終わっていない長男。今日こそはやるぞと声がけするも、次男にちょっかいを出しては興奮。旦那に頼んで、とりあえず次男を散歩へ連れ出してもらう。
ふてくされる長男にケーキ作りを提案すると、乗ってきた。
クールンって、レアチーズ…か…?って感じの味わいがたまらん。
駄菓子屋で売ってたヨーグルト(常温)みたいな感じ。溶かしバターと砕いたビスケットをあわせて敷き詰めて、牛乳と粉を混ぜて注いだら出来上がり。かんたんすぎ。
冷蔵庫に入れたら、固まるまで宿題をがんばる長男。とりあえず終わった、よかった…
旦那と次男が買ってきてくれたレトルトカレーをお昼にする。
午後
近隣の歴史館へ、自転車ドライブ。刀とか兜とか見まくる。鉄でできた胴のやつは、さぞかし重かったのではないだろうか…
帰り、日本庭園みたいなところでお散歩。鯉に餌をやりまくる。
もちろん長男は、ずっとポケモンGO。ゲームしてようがなんだろうが、一緒に出掛けて同じ空気を感じることが大切なのかも、と最近は思う。限度あるけど。
まとめ
- 長男は料理が好きだなあ
- 小学校のお友達と長男は遊びたがったとこもあるんだが、私は休みはできるだけ家族で過ごしたい。でないとトラブったとき逃げ場がつくりにくい
- 次男…ほったらかしでごめんね…
- 兄弟を引きはがそうとして「あっち行きなさい!」って長男に言っちゃうことが多くて、やめたい
以上、秋をこよなく愛するママりじろうでした。
「試練」な保育園参観日&小学校面談
保育園の参観日と、小学校の担任面談が重なりまして。
まあ、いろいろ思うところはありました。
次男(保育園)は、相当がんばっていた
彼は内気で、かつ他人の意図を読みづらい人。おとなしいながらも、地味に先生方に反発しつつ、園ですごしている。らしい。
しかし、今回はわりかし
モタモタせず、ついていく
という意識で頑張っていて、よかったなあと。
すべてを放棄して寝転がっていたときにくらべれば、相当できるようになったと思う。靴の履き替えや教室からの移動で前のほうの集団になることもあり(そう、今まで全然あり得なかったんですよ…)。感慨ふかし。
しかし、それとは別に。「このクラスたいへんだなあ」という印象があった。
クラス全体がいろいろと大変
逃亡したり言うことを聞かなかったりの子が、複数いる。
個人的に聞いてはいたが、うん、なかなかである。黙って固まっているだけのウチの子(立ち歩きがない)に構ってる暇はない…という現状が、がっつり理解できた。長男の時は、ここまでなかった。
もちろん、次男が大変さの一端であることに違いはない。申し訳ないことしきりである。
そうそう、先生方はだいぶ(追い詰めないように)意識を変えてくださっていた。バトってた時期もあったんだけどw
下の子の園生活について担任の先生と議論したんだけど、転園も考慮するって言ったら「でも小学校は選べないから」と仰るので「でも今は選べますからね」と返した。我ながら怖いもんなしだなと思ったわねw 我慢して学べたら苦労しねえっての
— ママリじろう (@parariqa) 2016年9月8日
絵カードも活用していただき、いい感じなのだが…「うーん精度がもう一息!」という面も。
絵カードの効能
絵カードは、作成にコツがあって、上手く作れていないと本当に無用の長物なのである。園ではたくさん作ってあったけど、ちょっと4歳児には理解できないかもしれないな…と思うものが多かった。例えば、絵があんまり上手じゃなくてわからない。それだったら写真のほうがいい。
現状でも効果はでているくらいなので、もったいないと感じる。
今度から行政の指導をいれてもらうことになっており(私が福祉サービスを利用して依頼するかたち)、そちらを通じて修正を求めていくつもり。
長男(小学校)のがんばりと諸々
とても細やかに見てくださっている、今年の担任。長期休みの宿題は輪ゴムでまとめて渡してくださったり、その他こまごまと気を使っていただいていて有難い。
だからこそ、細かい部分の指摘(いや普通なのか…でも我が子にとっては細かい)が多かった。
鉛筆の呪い
まず鉛筆を落としてしまう。もうこれは四六時中。机の周りに散乱しているらしい。どうすれば落とさないのか、私もわからないので言葉に詰まる。鉛筆にヒモをつけておくくらいしか、思いつかないw。
一本だけ持たせるか?
そう考えたこともあるのだが、友達に借りたりしたらキリがないし、いよいよ迷惑がかかってしまう。だからこそ予備をたくさん用意して持たせて、とりいそぎ困らないようにしている現状なのである。
正直言って、「鉛筆を買って済むならそれでよし」と思っている部分が、私にはある。しかし、社会一般でそう思われない、ということも分かる。
うん、困るね。どうしましょう~~!!!
幼さの呪い
お友達との関わりに、どうしても幼さが残る面も。
食べこぼしが多い、と女子から注意を受けがちらしい。爪を噛みまくるクセも治らず。これもどうしていいか分からない…これでも零さなくなったほうでして、ハハハ、みたいな。ダメか。ダメだよな。
爪噛みは、「これまで服の襟元を噛みしだいていた行為を代替している」と説明し、なるほどと納得いただく。納得しても解決にはならないのだが…
ここは本当に難しいところで、締め付けすぎると本人のストレスが倍増する。でも、周囲(同級生)がストレスを抱えてしまうのは申し訳なさすぎる。うーーーーーん…
学習について
あとは勉強。
「発達障害だけど勉強だけはできる」、って人じゃないらしいです!ということがまざまざと判明。あっれおかしいな、本当に話が違いますよね、ハハハ…笑うしかない。
全くもってついていけてない、というわけではないらしく。それは良かった。まあ、本人なりに真面目にやっていることは担任も分かってくださっているようで、安心。
あと、twitterに書いたんだけれども
スマイルゼミ(タブレット学習)を毎日監督してる限りでの理解度と、担任の先生の評価がけっこう離れている…百の位の理解、とか。タブレットで見てると理解してるんだけど、先生は分かってない、とのこと。
— ママリじろう (@parariqa) 2016年10月7日
インプットだって難しいのだが…アウトプットも下手、ということなんだろうと思う。字が下手で、イージーミスが多くて。テストだって点数がふるわない、だから評価につながらない部分がありそうな気がする。つながらなくて当然ですけどね。
感慨とまとめ
長男にしろ次男にしろ、つい20年前なら
「しつけが悪い」
「家庭教育をしっかりと」
等と説教されそうな案件である。だって全部、しつけ・わがまま・育て方が悪いで片づけられる話だもん。
医師の診断さまさま!だと思った。
そもそも私がかなり偏った親なので、先生方も相当にやりづらいだろな〜…と思う。しかし、それでも親の意向に寄り添って子供たちに対応してくださっているのは、本当に有難いことなのだろう。
まあ愚痴も多いのだが、感謝しなきゃいけないなあ…と思った1日でした。
罪悪感 of 保育園の変遷を振り返ってみた
子どもたちは、ほぼ1歳になった瞬間から保育園に通った。平日は朝9時から18時まで保育園に預けてきた(次男はちょっと違うが、それは後述する)。
それが家庭に、子どもに、ひいては母親としての意識に、どのような影響をもたらすか?
罪悪感は、どこから生まれてくるのか。
自己紹介(乙)を兼ねて、保育園な罪悪感の変遷を振り返ってみたい。*1
わたしのスペック
- 事務職、残業は月1であるかないか
- 実家はどちらも遠方
- 夫は激務→起きてる間には帰ってこない、祝日のない業種
長男への罪悪感
1-3歳のころ
いわゆる一般的な「罪悪感」を、最も醸していた。
預けるとき泣いてかわいそう…家事と育児と仕事の両立、不可能…部屋が汚い…のんびり子育てしたい… |
そもそも子育てに慣れていない時期である。本やテレビ・ネットなどのマニュアル、自分が親からされた子育ての「記憶」のみを根拠に頑張っていた。
今思えばヒマだったね。
- ママ友ランチ
- 子どもに手作りしてあげる
- 英語とかスイミングとか、いわゆる習い事に挑戦してみる
みたいなことは、長男にはよくやってあげたと思う。だからこそ、他所の子供と比較する機会が多かった。それが、保育園に預けているせいか…みたいな枝葉になることがあった。
この時期、VERYは読まないほうがいい。
4-6歳のころ
下の子が生まれ、意識が180度変わる。保育園=神だ。
保育園のない2人目出産とか無理ゲー |
うちは実家が遠方で夫は激務。通いなれた場所に日中預けられることは、もう本当、毎朝土下座してもかまわない!くらい助かった。
しかしそれはそれで
なんかズルしてる気がしてきた… |
母親の状態は、ぶっちゃけ専業だろうが兼業だろうが同じだ(育休とってるから)。働いてないのにこんなラクしていいのか…?という謎の罪悪感が発生。
この時期、日経ウーマンは手に取るべきでない。
小学校入学後
幼稚園ママって物腰やわらかい…保育園ママすぐ見分けつく… |
子どもたちは出自で多少変化がみられるが、まあ半年もたてば同じになる。しかし母親のほうは、ものごとに対する合理性というか、とらえかたが全然違う。
そしてよく言われることだけど、小1の壁。
下校したら家にいてほしいって言い出した!? |
ですよね、っていう。
保育園時代はみんなお仕事しているけれど、小学校は違うから。働いてないママもいっぱいいて、それをまた共有しあうからねえ。だからって仕事辞められないし。
次男への罪悪感
次男は今、保育園へきっちり通ってはいない。週2日は、午後に児童発達支援へ行っているからだ。
保育園の先生方、お手数ばかりかけて申し訳ありません… |
長男はマイペース極まれりだったものの、それなりに集団行動についていってはいた。次男はついていこうという気がない。なので本当に申し訳ない。現在、最大の罪悪感だと思う。
他人に干渉しない子なので、人間関係のトラブルがないことだけが救いだ(保育園の先生とトラブってるともいえるが)
本人に対しては、
のんびり系幼稚園のほうがええんかな… |
という逡巡はあるものの、私の勤務も、長男の都合も加味した「ベター」を選んでいるから仕方ない!と考えるようにしている。
たまひよ系雑誌?もう5-6年は読んでないですねえ…
まとめ
- 罪悪感は、子育てのステージでだいぶ変わっていた
- 「なぜあんなに悩んだのか?」という罪悪感も、過去を悔やむ罪悪感もあり種類いろいろ
- 他人が口を挟めるほど単純なものでもない、家庭ごとに事情は異なるだろう
以上、現場からお送りしました。
*1:子どもへの実際の影響は、計り知れなさすぎるので割愛する。
【子育てメモ】合理的配慮を、小学校や保育園ではじめてもらうまでにやったアレやコレ
わが子たちの現状
長男は普通級の小2、次男は保育園年少。マイペースにのーんびりと(汗)日々たのしく学んでいます。
切り替えが下手、指示が通りにくい…
こうした特性を抱える彼らが、周囲に迷惑をできるだけ掛けず、かつ本人がストレスをあまり抱えることなく集団のなかで学んでいくには、どのような工夫が必要か。
完璧にサポートするということは不可能です。
けれども、できるだけ合理的配慮はしてあげたい。連携をすすめていくには、どうしたらいいのか?そんなことを日々考えつつ…先生方や相談員さんと、密に連絡をとっています。
保育園も小学校も、視覚支援をどんどん押し進めてくれていてありがたい限り。一方で、母として覚悟を決めないとなあ、って感じだ。でも子供たちが本当にノーストレスみたいだし良いことだよな
— ママリじろう (@parariqa) September 28, 2016
合理的配慮を親から頼む、この難しさ
「合理的配慮」は、基本的に親が動いて、依頼していかなければ実現しないものらしいです(また聞き失礼)。
とはいえ、親は専門家じゃありません。むしろ「集団での教育」という面だけで見れば、あたりまえですが教師のほうがスペシャリストなわけです。その方々に対し、
絵カード貼ってください
とか
時間をこまめに示してやってください
とか指示してもですね、だいたいは聞いてくれない。いや、まずは言ってみるべきなんですけれども。言ったところで
とまどい、微笑して流される
というのが大半かもしれません。理由は「ひとりに手をかけられない」とか、いろいろでしょう。経験上無理、ということだって大いにあり得る。いまだ、私も、もがきに もがいている部分は多々あります。
やってみたこと
子どもについて比喩で解説する
先生方に、事あるごとに説明してみました。できるだけ即物的に。例えば、
・ロボットみたいなもので、思い込みを上書きするのが難しいです
とか、
・目に入った情報を取り込みすぎるし、しかもデータの整理整頓がまだできないので、すぐフリーズするんです
とか。「やる気がない」「泣くばかり」みたいな話しても(実際そうだとしても)、なんか建設的な話し合いにならない。あと、専門用語使ってると聞いてもらえなくなります。比喩にうつして分かりやすく話し合う、というのは結構重要でした。
自宅でやってる視覚支援グッズを持っていて見せる
我が家は視覚支援の館といっても過言ではなくw、とりあえずあるものは持って行って、ガンガン見せました。タイムタイマーやスケジュール用のマグネットボード、片づけ促進のための写真付きボックス。動かせないものは写真を撮って見せました。
「この方法が効いてる」という情報の共有ですね。
伝わると、なんとなくそちらに寄せた対応をしてくれたりします。
具体的に困ってることを聞き、家で言い聞かせる
具体的っていうところがキモ。たとえば、作品づくりに意欲を見せないとき。「次男君の絵、参観日でママみたーい♡」とか言うと、サクっとやったりw。裏返すと、家で言い聞かせてなんとかなるのは、そういうレベルのことしか無理だと思う。
でも、
困ってることあったら言ってください!家で理由を聞いて、話してみます!
っていう態度がこちらにあるのは、重要かと思います。
家庭で、家庭なりに工夫している様子を伝える
「園にばっかり求めて…」って思われちゃうのは、ちょっとマイナス。これやってみてます!っていうのはこまめに伝えています。集中させたいとき(着替えなど)は、できるだけ何も置いていないスペースでやらせてます、とか。
まあ、やりすぎると確実にうっとおしいのでw、適度に。
もちろん完璧じゃない
こういうふうに記事にすると、すんごい偉いお母さんみたいですけど。全く違いますね。モンペ寸前じゃねえか、といつもビクビクしています。。
ほとんど私の安心のためにやってる、って面が大きいです。
まあ、これからも頑張っていきまっしょい、っていうところでしょうか。
学校の先生は、子供本人にある程度の効果が見られてくると、勝手にどんどん支援の工夫をしてくれるときがある。やっぱり子供に伸びてほしい、という願いがあるのだろう。また、これから特性のある子に対応するための試行錯誤をしてる感じもあるな。キャリアのためな
— ママリじろう (@parariqa) September 28, 2016
女子トークに求めるもの
女子トークっていう奴がある。
それは本当に小さい、幼稚園・保育園の時代からはじまる習慣だ。女の子同士あつまって、おしゃべりに花を咲かせる。
私も女子トークは好きだ。多分。
上手くいったときなんて、ものすごくスッキリするものね。ストレス発散に、保健師さんから勧められるくらいだもん、親子サークルとか。得意だったら本当に楽しいだろうなあ、と思う。
でもなんか多分、上手くできなようなのだ。
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私はどちらかといえば、社会常識などに興味がない。あと、オチもなにもない愚痴とかは、どうやってもつまんなくてきくことができない。完全に目がうつろになってしまう。
で、私が関心を持つようなことに、他者はあまり興味を持たない。
ダイソーとか工作とか、水曜どうでしょうとか。excelの使い方とか。家での、子どもに対する合理的工夫とか。
(うん、並べたら個人的すぎて、確かに相手に求めるのは酷なトピックスばかりだな)
お互いのベクトルが全くすり合わないので、話していてもメリットがない。
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なんだか私は、女子トークが上手くいって楽しかった思い出が、けっこうあるのかもしれない。疲れるの分かってて、トライし続ける傾向があるようなのだ。
でもなあ。。。どうなのかな。
情報を交換しあってるってこともさほどないし、総合的に見たら たのしさ〈 疲れ っていう気が、かなりするんだけど。
それだったら、ネットだけで後腐れなく、リアルではあまり女子トークを嗜まないほうがいいのかもわからない。
とはいえ
女子トークの基礎だけは、なんとか身につけてきたと思う。これは良いニュースだ。
これで楽になることは、けっこうあるんんだよな。
次男への声かけメモ
リフレーミングというほどではないけれど、有効だった声かけのメモ。次男4歳。
歩くペースをコントロールする
「ゆっくり歩いて」と言っても、意味がわからない場合が多い。数字を数えて、その数えるスピードにあわせて歩かせる。手をつないで、歩くペースをあわせて
1、2、3、4
と数えながら歩く。もっと小さなころは「1、1、1、1」って歩いていたんだけれど、最近は数が少しわかるようになったので、30くらいまで数えたりする。なぜかご機嫌になるw
関係ないけど最近の次男
- 児童デイに通いまくり。土曜日も通うかもしれない
- 保育園では専用の絵カードを作ってもらえたようだ。それを使っていて、お仕度など、かなりスムーズになったらしい。喜ばしい
- こんどの参観日も絵カード使っていいですか?と聞かれ、一瞬ぐっときたけど、「はいいつも通り、使う感じでお願いします」と言った。
次男が過ごしやすく、のびのびできる環境が最も大切だ。うう…母は試練だ、やっぱり周りのお母さんどう思うかしら?って考えちゃうな。でも、のど元過ぎたらカラっと忘れそうな気もするけど。
メンタルが強い母って何だろ
ぶれない、の真相
かねてから、メンタル強いねと言われる。自分では、もちろん強いと思っていない。でも、言われる。喜んでいいのか?
心の強度とは、「ぶれない加減」で計られがちである。
確かに私はぶれない。
他者の思惑をあまり考慮しないからだ。考慮するときは、理詰めでしか考えられない。
そういう傾向を自分で分かっているので、例えばママ友づきあい的なものは、極力深入りしないようにしている。申し訳ないですからねえ。
奇跡のママ友たち
とはいえ、ほんの少しだが友達はいる。
- 超あっさりな、顔の広いママさん
- 賢すぎるゆえ、女子づきあいにコンプレックスを抱えた年下ママ
- シングルマザーの友達
身近なのはこの三名。みなベッタリした付き合いはしない。それどころか、連絡もなかなか取らないw それくらいの人でなければ、私は人づきあいが続かない。
息子の友達ママなども適宜連絡をとるが、気が合わないので…私の友達と判定するのは…どうしても躊躇われる。っていうか、向こうも絶対、仲良しな気持ちはないと思う。あ、別に判定しなくてもいいって? そう、そういうのができないのね。曖昧だったらもう逃げたいの。
あーあ、向いてない、ママコミュ。
私はクラス役員とか、誰かと一緒にやったりしなくていい。宿題が分からなかったら先生に電話する、もしくは適当にやらせて連絡ノートに書いておく。子育ての悩みをリアルで共有したりしない。共感とか要らないんだよね。
— ママリじろう (@parariqa) 2016年9月23日
自分が母親としてどうか?と聞かれたら、「まあ、低空飛行で…なんとか育ててます…子供たちを愛していますし」と答えるだろう。ぜんぜん、産んでよかったと思ってる。
でも、ママ友づきあいを含めた、育児に役立つ「コミュニティ形成」はもうド下手だ。
べつに誰かと争ったりはしない。ともかくストレスがでかい。たぶん、はっきりとは誰も気づいてないだろう。でもともかく苦手なの。
どうにか合理的に逃れられないのか?と常々思っているのでありました。
どうしてママ友づきあいは必要なのだろう
とはいえ私も、ママ友づきあいが皆無では困る、と思っている。だって子供が、ママたちと関わるから。
ルート営業と同じ。
知り合いの子供には愛着がわく。誰も知らないような子供には、どうしたって警戒心が起こりやすい。「ああ、あの(当たり障りのない)お母さんの子供なのね」と思われれば、それだけで回避できるトラブルがある、のである。
とはいえ、そうしたリスク回避が必須か、と言われると分からんところだ。なくてもなんとかなるんじゃないのとは思う。
ただ、代替行動としては結構手間がかかると思うな。学校に張り付くくらいやんないとダメだし、そんなの疲れる。
結局、バランスを見ながら冷静に選んでいくしかないのだろう。