皆のトコから10センチ弱。

ママと会社員の擬態をして8年

次男への声かけメモ

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フレーミングというほどではないけれど、有効だった声かけのメモ。次男4歳。

 歩くペースをコントロールする

 「ゆっくり歩いて」と言っても、意味がわからない場合が多い。数字を数えて、その数えるスピードにあわせて歩かせる。手をつないで、歩くペースをあわせて

 

1、2、3、4

 

と数えながら歩く。もっと小さなころは「1、1、1、1」って歩いていたんだけれど、最近は数が少しわかるようになったので、30くらいまで数えたりする。なぜかご機嫌になるw

 関係ないけど最近の次男

  • 児童デイに通いまくり。土曜日も通うかもしれない
  • 保育園では専用の絵カードを作ってもらえたようだ。それを使っていて、お仕度など、かなりスムーズになったらしい。喜ばしい
  • こんどの参観日も絵カード使っていいですか?と聞かれ、一瞬ぐっときたけど、「はいいつも通り、使う感じでお願いします」と言った。

 

次男が過ごしやすく、のびのびできる環境が最も大切だ。うう…母は試練だ、やっぱり周りのお母さんどう思うかしら?って考えちゃうな。でも、のど元過ぎたらカラっと忘れそうな気もするけど。 

 

 

 

 

メンタルが強い母って何だろ

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ぶれない、の真相

かねてから、メンタル強いねと言われる。自分では、もちろん強いと思っていない。でも、言われる。喜んでいいのか?

心の強度とは、「ぶれない加減」で計られがちである。

確かに私はぶれない。

他者の思惑をあまり考慮しないからだ。考慮するときは、理詰めでしか考えられない。

そういう傾向を自分で分かっているので、例えばママ友づきあい的なものは、極力深入りしないようにしている。申し訳ないですからねえ。

奇跡のママ友たち

とはいえ、ほんの少しだが友達はいる。

  • 超あっさりな、顔の広いママさん
  • 賢すぎるゆえ、女子づきあいにコンプレックスを抱えた年下ママ
  • シングルマザーの友達

身近なのはこの三名。みなベッタリした付き合いはしない。それどころか、連絡もなかなか取らないw それくらいの人でなければ、私は人づきあいが続かない。

息子の友達ママなども適宜連絡をとるが、気が合わないので…私の友達と判定するのは…どうしても躊躇われる。っていうか、向こうも絶対、仲良しな気持ちはないと思う。あ、別に判定しなくてもいいって? そう、そういうのができないのね。曖昧だったらもう逃げたいの。

あーあ、向いてない、ママコミュ。

自分が母親としてどうか?と聞かれたら、「まあ、低空飛行で…なんとか育ててます…子供たちを愛していますし」と答えるだろう。ぜんぜん、産んでよかったと思ってる。

でも、ママ友づきあいを含めた、育児に役立つ「コミュニティ形成」はもうド下手だ。

べつに誰かと争ったりはしない。ともかくストレスがでかい。たぶん、はっきりとは誰も気づいてないだろう。でもともかく苦手なの。

どうにか合理的に逃れられないのか?と常々思っているのでありました。

どうしてママ友づきあいは必要なのだろう

とはいえ私も、ママ友づきあいが皆無では困る、と思っている。だって子供が、ママたちと関わるから。

ルート営業と同じ。

知り合いの子供には愛着がわく。誰も知らないような子供には、どうしたって警戒心が起こりやすい。「ああ、あの(当たり障りのない)お母さんの子供なのね」と思われれば、それだけで回避できるトラブルがある、のである。

とはいえ、そうしたリスク回避が必須か、と言われると分からんところだ。なくてもなんとかなるんじゃないのとは思う。

ただ、代替行動としては結構手間がかかると思うな。学校に張り付くくらいやんないとダメだし、そんなの疲れる。

結局、バランスを見ながら冷静に選んでいくしかないのだろう。

教育/保育/療育のカスタマイズ(軽度発達障害と診断されて)

「環境のほうを合わせる」という実態

うちのこどもたちは、自閉スペクトラムの一部に存在している。

いわゆる発達障害…広汎性発達障害の診断をうけている。専門機関への相談を経て、小学校(通常級)や保育園・幼稚園に通っている。あわせて、民間の児童発達支援や放課後等デイサービスを、可能な限り利用している。

すべての学びを、学校や園(+家庭)で担うのは、全く合理的でないと思う。

私のなかでは矛盾のない考えなのだけれど。説明が難しいことは、結構多い。

園としては、「本人たちにも自覚させ改善を促す」という視点を親に持ってほしいのだろう。お話しする端々にビシビシ感じた。

子育てに欠かせない視点であるのは、よくわかる。

しかし「自覚できない・学びづらい」のが特徴なのだから、そればかり追及する(つまり従来の教育概念)のでは関わる誰もかれもーつまり親も教師もどんどん疲弊していくと思うんだよな。

未就学児なら、できるだけ環境のほうを整えるべきだ…と、私は思う。

教育・保育をカスタマイズする

じゃあどうするか?

ほんとうは、 教育/保育コーディネーターとかが存在してほしい。

専門知識のもと、子どもに沿った通い先をカスタマイズしていったほうが、絶対に絶対にいい。しかしながらそんな役回りの人はいないので、自分でやっている。っていうか、日本全国ほとんどの、発達障害を持った子のお母さんはそうやってるのだろう。

うちはお金がないので、公的なサービスをめいいっぱい使うしかない。

相談先・メインの教育(保育)・サブの教育(主に療育)に分けて、利用している支援サービスをラインナップしてみた。

相談先

兄弟ともに
  • 児童精神科医(診断書発行、半年に1回くらい)

メインの教育

  • 小学校(毎日、しんどかったら休んでOK)
  • 保育園(毎日、しんどかったら休んでOK)

サブの教育

  • 学童(公立:週2)
  • 放課後等デイサービス(民間:週3)
  • 児童発達支援(民間:週3)
  • クリニックでの月1教室(公立:月1)

こうやって見ると、弟のほうは相談先がほぼない状況であることがよくわかる。

支援としては選択肢が多い(幼いほど療育効果は期待されるので比較的整備されている)のだけれど、支援内容を検討する場がないのだよね。だからどうしても試行錯誤になるし、親のエゴVS園の都合、みたいな構図になりやすい。

今は、相談できる支援サービスを確認しているところ。いいクッションになってくれる第三者がいると、やはり助かる。

診断書は「金てこ」である

最初のころ本当に戸惑ったことなのだけれど、児童精神科医は特になにもしてくれない。今思えば当たり前だが、彼らは確かに、診断をしてくれる。それをいかにして活用するかは親による。丁寧な案内は一切ない。

「診断書」は金てこである。

それを使って、支援サービスを探し、ぐいぐいこじ開けていくイメージだ。もはや発掘といっていい。金てこがなければ、見つけても使うことはできない。逆に、金てこだけあっても意味は皆無

ともかく迷走中

まとまりありませんがw、そんな感じの内容で、あと自分のことも。ブログ書いていく予定です(ヲイ