次男への声かけメモ
リフレーミングというほどではないけれど、有効だった声かけのメモ。次男4歳。
歩くペースをコントロールする
「ゆっくり歩いて」と言っても、意味がわからない場合が多い。数字を数えて、その数えるスピードにあわせて歩かせる。手をつないで、歩くペースをあわせて
1、2、3、4
と数えながら歩く。もっと小さなころは「1、1、1、1」って歩いていたんだけれど、最近は数が少しわかるようになったので、30くらいまで数えたりする。なぜかご機嫌になるw
関係ないけど最近の次男
- 児童デイに通いまくり。土曜日も通うかもしれない
- 保育園では専用の絵カードを作ってもらえたようだ。それを使っていて、お仕度など、かなりスムーズになったらしい。喜ばしい
- こんどの参観日も絵カード使っていいですか?と聞かれ、一瞬ぐっときたけど、「はいいつも通り、使う感じでお願いします」と言った。
次男が過ごしやすく、のびのびできる環境が最も大切だ。うう…母は試練だ、やっぱり周りのお母さんどう思うかしら?って考えちゃうな。でも、のど元過ぎたらカラっと忘れそうな気もするけど。
メンタルが強い母って何だろ
ぶれない、の真相
かねてから、メンタル強いねと言われる。自分では、もちろん強いと思っていない。でも、言われる。喜んでいいのか?
心の強度とは、「ぶれない加減」で計られがちである。
確かに私はぶれない。
他者の思惑をあまり考慮しないからだ。考慮するときは、理詰めでしか考えられない。
そういう傾向を自分で分かっているので、例えばママ友づきあい的なものは、極力深入りしないようにしている。申し訳ないですからねえ。
奇跡のママ友たち
とはいえ、ほんの少しだが友達はいる。
- 超あっさりな、顔の広いママさん
- 賢すぎるゆえ、女子づきあいにコンプレックスを抱えた年下ママ
- シングルマザーの友達
身近なのはこの三名。みなベッタリした付き合いはしない。それどころか、連絡もなかなか取らないw それくらいの人でなければ、私は人づきあいが続かない。
息子の友達ママなども適宜連絡をとるが、気が合わないので…私の友達と判定するのは…どうしても躊躇われる。っていうか、向こうも絶対、仲良しな気持ちはないと思う。あ、別に判定しなくてもいいって? そう、そういうのができないのね。曖昧だったらもう逃げたいの。
あーあ、向いてない、ママコミュ。
私はクラス役員とか、誰かと一緒にやったりしなくていい。宿題が分からなかったら先生に電話する、もしくは適当にやらせて連絡ノートに書いておく。子育ての悩みをリアルで共有したりしない。共感とか要らないんだよね。
— ママリじろう (@parariqa) 2016年9月23日
自分が母親としてどうか?と聞かれたら、「まあ、低空飛行で…なんとか育ててます…子供たちを愛していますし」と答えるだろう。ぜんぜん、産んでよかったと思ってる。
でも、ママ友づきあいを含めた、育児に役立つ「コミュニティ形成」はもうド下手だ。
べつに誰かと争ったりはしない。ともかくストレスがでかい。たぶん、はっきりとは誰も気づいてないだろう。でもともかく苦手なの。
どうにか合理的に逃れられないのか?と常々思っているのでありました。
どうしてママ友づきあいは必要なのだろう
とはいえ私も、ママ友づきあいが皆無では困る、と思っている。だって子供が、ママたちと関わるから。
ルート営業と同じ。
知り合いの子供には愛着がわく。誰も知らないような子供には、どうしたって警戒心が起こりやすい。「ああ、あの(当たり障りのない)お母さんの子供なのね」と思われれば、それだけで回避できるトラブルがある、のである。
とはいえ、そうしたリスク回避が必須か、と言われると分からんところだ。なくてもなんとかなるんじゃないのとは思う。
ただ、代替行動としては結構手間がかかると思うな。学校に張り付くくらいやんないとダメだし、そんなの疲れる。
結局、バランスを見ながら冷静に選んでいくしかないのだろう。
教育/保育/療育のカスタマイズ(軽度発達障害と診断されて)
「環境のほうを合わせる」という実態
うちのこどもたちは、自閉スペクトラムの一部に存在している。
いわゆる発達障害…広汎性発達障害の診断をうけている。専門機関への相談を経て、小学校(通常級)や保育園・幼稚園に通っている。あわせて、民間の児童発達支援や放課後等デイサービスを、可能な限り利用している。
すべての学びを、学校や園(+家庭)で担うのは、全く合理的でないと思う。
私のなかでは矛盾のない考えなのだけれど。説明が難しいことは、結構多い。
下の子の園生活について担任の先生と議論したんだけど、転園も考慮するって言ったら「でも小学校は選べないから」と仰るので「でも今は選べますからね」と返した。我ながら怖いもんなしだなと思ったわねw 我慢して学べたら苦労しねえっての
— ママリじろう (@parariqa) 2016年9月8日
園としては、「本人たちにも自覚させ改善を促す」という視点を親に持ってほしいのだろう。お話しする端々にビシビシ感じた。
子育てに欠かせない視点であるのは、よくわかる。
しかし「自覚できない・学びづらい」のが特徴なのだから、そればかり追及する(つまり従来の教育概念)のでは関わる誰もかれもーーつまり親も教師もーーどんどん疲弊していくと思うんだよな。
未就学児なら、できるだけ環境のほうを整えるべきだ…と、私は思う。
教育・保育をカスタマイズする
長男は学童&デイ、次男は保育園&児童発達支援でかなり外注している我が家。夏休みはそれで楽しく乗り切れたもんなあ
— ママリじろう (@parariqa) 2016年9月12日
じゃあどうするか?
ほんとうは、 教育/保育コーディネーターとかが存在してほしい。
専門知識のもと、子どもに沿った通い先をカスタマイズしていったほうが、絶対に絶対にいい。しかしながらそんな役回りの人はいないので、自分でやっている。っていうか、日本全国ほとんどの、発達障害を持った子のお母さんはそうやってるのだろう。
うちはお金がないので、公的なサービスをめいいっぱい使うしかない。
相談先・メインの教育(保育)・サブの教育(主に療育)に分けて、利用している支援サービスをラインナップしてみた。
相談先
兄弟ともに
- 児童精神科医(診断書発行、半年に1回くらい)
兄
- スクールカウンセラー(月1:小学校内の細かい調整、相談)
- たまに教育委員会の相談課の人(半年に1回くらい)
メインの教育
- 小学校(毎日、しんどかったら休んでOK)
- 保育園(毎日、しんどかったら休んでOK)
サブの教育
兄
- 学童(公立:週2)
- 放課後等デイサービス(民間:週3)
弟
- 児童発達支援(民間:週3)
- クリニックでの月1教室(公立:月1)
こうやって見ると、弟のほうは相談先がほぼない状況であることがよくわかる。
支援としては選択肢が多い(幼いほど療育効果は期待されるので比較的整備されている)のだけれど、支援内容を検討する場がないのだよね。だからどうしても試行錯誤になるし、親のエゴVS園の都合、みたいな構図になりやすい。
今は、相談できる支援サービスを確認しているところ。いいクッションになってくれる第三者がいると、やはり助かる。
診断書は「金てこ」である
最初のころ本当に戸惑ったことなのだけれど、児童精神科医は特になにもしてくれない。今思えば当たり前だが、彼らは確かに、診断をしてくれる。それをいかにして活用するかは親による。丁寧な案内は一切ない。
「診断書」は金てこである。
それを使って、支援サービスを探し、ぐいぐいこじ開けていくイメージだ。もはや発掘といっていい。金てこがなければ、見つけても使うことはできない。逆に、金てこだけあっても意味は皆無。
ともかく迷走中
まとまりありませんがw、そんな感じの内容で、あと自分のことも。ブログ書いていく予定です(ヲイ